『いま原子力発電は・・・』/『原発切抜帖』観てきました。(ササキ)

  • 2011.06.16 Thursday
  • 11:08
どうも、みなさま、こんにちは。
「ちづる」上映委員会のササキユーイチでございます。

これまでの投稿をご覧になったみなさまであれば、既にお気づきだろうとお察し致しますが、
この「ちづる」上映委員会の愉快な面々は揃いも揃って変人ばかりでまとめあげるのは並の苦労ではございません。
夜な夜な爆音で音楽を奏でる心理学の学徒、ステージで舞い飛ぶ踊り子たち、サウンド・オブ・ミュージックに出てきそうな関西人、歌う俊才デザイナー…
「今までの投稿、どうみてもふつーな学生さんたちじゃありませんか!」なんてお思いのあなたは、これから化けの皮を剥がしてくる彼らに腰を抜かさないようにお気をつけ下さい。

こんなそれぞれが異彩を放つメンバーが、「ちづる」という一本の映画に集ったのだから不思議なものです。
これまでの幾たびかの上映会の毎に、「ちづる」という映画の懐の広さと深さを実感してきた訳ではありますが、
何よりもこんな異種格闘技な面々により上映委員会が成っているということが、そのひとつの証左と言えましょう。

さて、話は変わりますが、あたくし昨日岩波ホールにて上映中の企画上映「二人の記録映画作家が見た原子力発電」に行って参りました。
上映作品は、『いま原子力発電は・・・』(1976年/羽田 澄子 監督)『原発切抜帖』(1982年/土本 典昭 監督)の二本。
というのもこの日のミーティングにて、「ちづる」プロデューサーの池谷薫さんに、朝日新聞の天声人語の欄にこの映画が載っていたと聞いたのです。

『いま原子力発電は・・・』には、始業間もない福島第一原子力発電所の姿がありました。
原子力発電の安全を信じて止まない(或いはそういわざるを得ない)ひとたち、可能性を認めつつも冷静に思考し反対・疑問を唱えるひとたち、
映画は考える余地を与えてくれるものでした。しかし、これは35年前の映画…一体何処で思考停止してしまったのか、いつまで思考停止し続けるのか…?
今となっては意味が変わってしまった映像がそう問いかけてくるようでした。

『原発切抜帖』「私」の一人称で語られるナレーションとともに、広島の原爆投下を報じる記事から始まる「原子力(発電)報道一代記」でありました。
諧謔的・風刺的なナレーションが痛切な批判となって響きます。あまりの可笑しさに場内からは笑い声すら漏れ聴こえます。
でもね、ほんとは笑えない。その批判の矛先は他ならぬ自分たち自身にも向かっているのですから。

二本とも20年以上昔の映像なのに、その力は衰えるどころか益々強いものに成っている。
それはどちらも現在進行形の問題を、つまり<現在>を鋭く見つめ、同時に<未来への問いかけ>として映画を作っているから。

はてさて、あたくしはこれより池袋の某フリーペーパーに「ちづる」上映委員会の記事を載せるべく眠れぬ夜を過ごします。
出来上がりましたら、またお知らせ致します。ご期待くださいませ。

さーて、次の執筆者は、先日6月のそよ風にコンタクトレンズを飛ばされたハルコちゃんです!

ごきげんよう。

ササキユーイチ
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